晴れ、ときどき京都

3年間の京都暮らしから地元に帰ってきました。

カフェミープル…「コンコルディアがしたいです……」

オサレカフェ日記が始まるのか……と、思いきや、しょっぱなはカフェミープルなのであった。いや、カフェミープルがオサレではないとは言ってないですけども……。

4月14日に熊本で前震(という名の本震?)があり、4月16日に再び熊本で、それよりも大きな被害をもたらすことになった本震があった。京都赴任で浮ついていた気持ちは一瞬でふっとんだ。家族や友人知人が気がかりなのはむろんのこと、率直にいってなんだかとても後ろめたかったのである。

何十年と熊本で暮らしていて、こんな肝心なときに熊本にいない自分。安穏とごはん食べてお風呂入ってテレビ見てる。いたからといってなにができたわけでもないが、重要なイベントに参加できなかったさみしさ(…などと言ったら怒られるかもしれないけども、確かにそんな気持ちはあります…)。交通手段も絶たれてしまった故郷への道は、物理的にも心情的にも遠く感じられた。

そんな感じで胸に鉛をつっかえたような状態で過ごしていたのだが、不意に(突然である…)ボードゲームがしたくなった。みんな大変なのに、こんな時に?と思いながら、かねてから行きたいと思っていたカフェミープルに行くことにしたのである。 

軽くコロレットや3Dブロックスをしたあと、「…コンコルディアがしたいです……」と言ったらちょっとどよめかれた。なんだ、イケる口じゃないですか、というアレでしょう……。

初心者のフリをするぞー!と思ってはいても、それで軽アクションゲーなど勧められたらたまったものではないので、さっさと好みを白状した方がラクになれるのであった。

数時間遊んで、その間だけ胸につかえている鉛のことは、少しだけ忘れていた。

悲しいことが起こったのに、今そんなことをしているのは不謹慎だ、という考え方がある。実際そういう場面は多々あると思う。

かといって、世に起こる悲劇の多くを我がことのように思い、共感していたら心が耐えられない。「他人事」で処理できる心のもちようも、それはそれで人間が生きていくには必要なものなのだ。もちろんできる範囲で助けられることがあるのならした方がいいには違いないけども。

余談だけども、「世に起こる悲劇を我がことのように思う」共感能力というか感受性は大人よりも子供の方がはるかに強いと思うので、○月○日にまた大地震が……系のデマは本当に許せないと思ったりする(私のなかの子供の自分がおびえている…)。